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天神ふれあいセンターでの1時間のショーが済みました [皆様に喜んでいただいたことが大きな財産になります]

令和6年5月11日:13時30分から、約5年振りに市内天神町ふれあいセンターにおいて『故郷を唄う 内城 直歌謡ショー』と題してステージを企画いただき終了いたしました。
本センターは、2019年11月9日に御逝去された”柾屋和夫後援会長”が利用されており、その縁で、後援会長が生前中に1時間のショーを実施させていただいた”縁の深いセンター”です。
5年振りとなる今回は柾屋和夫後援会長の姿はありませんでしたが、きっと『天から』見守ってくれてると信じ務めさせていただきました(^^♪
ステージでは”和服の着流し”がほとんどなのですが、今日は”洋装”で務めさせていただきました(^^♪
プログラムも、あえて5年前と大きな変更はない構成にいたしました(^^♪
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自分の中では、柾屋和夫後援会長・恩師作曲家馬場啓介先生・作詞家吉田六郎先生への追悼・感謝の意味合いを『心の中に秘めながら』精一杯ステージを愉しみながら務めさせていただきました(^^♪
故郷会津を題材にしたオリジナル楽曲を中心にしながらも、皆さまと合唱できるような”北国の春や民謡””青春歌謡(美しい十代 高校三年生)”等々、12曲を組み込みました(^^♪
音響等は、自分の機器を持ち込みました(^^♪
”天神ふれあい協議会”で作成されましたポスターを、お世話になっている市会議員の方が添付してくださいましたので、本ブログに使用させていただきました(^^♪ありがとうございます(^^♪
今日、ラッピングされたポスターをいただいてきました(^^♪
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開演を前に、衣装に着替えてる時、顔見知りの方が多いのに驚きましたが、同級生や従姉も『ポスターを見たので、聴きにきました(^^♪』との言葉に驚きと、ふれあいセンターの責任者の方の周囲に対する周知の気配り等に”感謝”を申し上げます(^^♪
オープニングは、”会津魂”
”北国の春”や”青春歌謡メドレー(美しい十代 高校三年生)”等は、マイクを皆さんに向けさせていただきました(^^♪皆さん大きな声で唄ってくださり、有難いやら・感心させられたり意義のある楽しい時間を共有させていただきました(^^♪
後半の”武士(もののふ)悌次郎”河井継之助(もうひとりの龍馬)”を唄いきりました(^^♪
アンコールがかかり”感謝”をご披露申し上げフィナーレ(^^♪
とにかく1曲・1曲大きな拍手をいただき、皆さんの熱気が伝わってきましたし、皆さんの熱気で”ちから”をいただき自分も熱が入りました(^^♪
大きなステージには無い、直ぐ目の前におられる皆さんと直に肌で感じながら、贅沢な時間を過ごさせていただきました(^^♪
"うた"の評価は脇に置いといて、自分の心の中では”うた”をやってて好かったナ~~(^^♪と思える心地好い時間を過ごさせていただきました(^^♪
『また 聴かせてください!!』のお言葉に胸が熱くなる思いと”ありがたい”気持ちが増幅させられました(^^♪
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~青春歌謡や北国の春 等、皆さんが御存じの”うた”を唄っていただきました(^^♪~
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5月11日は、市内『天神町ふれあいセンター』でのステージです [約5年振りになり、気持ちが燃えています]

令和6年5月吉日:5月11日13時30分から、約5年振りに市内天神町ふれあいセンターにおいて『故郷を唄う 内城 直歌謡ショー』と題してステージを行うことになっております。
本センターは、2019年11月9日に御逝去された”柾屋和夫後援会長”が利用されており、その縁で、後援会長が生前中に1時間のショーを実施させていただいた”縁の深いセンター”です。
5年振りとなる今回は柾屋和夫後援会長の姿はありませんが、きっと『天から』見守ってくれてると思います(^^♪
プログラムも、あえて5年前と大きな変更はない構成にいたしました(^^♪
自分の中では、柾屋和夫後援会長・恩師作曲家馬場啓介先生・作詞家吉田六郎先生への追悼・感謝の意味合いを『心の中に秘めながら』精一杯ステージを愉しみながら務めていきたいと思っています(^^♪
故郷会津を題材にした”会津魂””会津三泣き””芦の牧旅情””武士悌次郎”始め、民謡や”白虎隊”を取り入れ、オリジナル楽曲を中心にしながらも、皆さまと合唱できるような”懐メロや民謡””青春歌謡”等々、12曲を組み込みました(^^♪
音響等は、自分の機器を持ち込みます(^^♪
”天神ふれあい協議会”で作成されましたポスターを、お世話になっている市会議員の方が添付してくださいましたので、本ブログに使用させていただきました(^^♪ありがとうございます(^^♪
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『北越潜行の詩碑を見つめて』:束松峠 [いにしえ街道:束松峠へ]

令和6年4月29日:会津坂下町観光物産協会主催の『いにしえ街道 束松峠 北越潜行の詩碑を見つめて』との標題により開催されたので、参加をして参りました。
会津藩士・秋月悌次郎が、1,868年の戊辰戦争で”鶴ヶ城開城式”を取り仕切った後、猪苗代での謹慎中、交友のあった長州藩士・奥平兼輔が越後に滞在していたことから、猪苗代をぬけだし、会津藩の”減刑(善処)”願うとともに、二人の若者(山川健次郎・小川亮)の将来を託し、その帰り道、磐梯山・會津平野城下町がみえる”束松峠頂上”で詠まれた”詩”が北越潜行の詩である。
『行くに輿(こし)無く 帰るに家無し』で始まる”詩”です[あせあせ(飛び散る汗)]
”軍事奉行添役”として、その任務にあたった秋月悌次郎の心情が込められ、胸をうたれます。
会津坂下町高寺コミュニティーセンターに集合し、ご挨拶があった後、9時出発、頂上に、11時前到着、元茶屋のあった場所・”詩碑が建立されてる頂上で休憩、団子がふるまわれた。歩き汗をかいた後で、美味さが一段と増しました。
式典が行われたあと、歩いて下山、登る時も体力が消耗するが、下山の時は”足腰”にくるものです[あせあせ(飛び散る汗)]
コミュニティーセンターに到着したのが12時20分頃、主催者にご挨拶をし帰路につきました(^^♪
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~途中 綺麗な花イワカガミに癒されました”~ 20240429_103019.jpg
~”詩碑”のある頂上から眺めた”會津磐梯山”と会津平野と山脈~ 20240429_113343.jpg
カスミがかっておりました※左方向が磐梯山、奥の青くみえる山脈の下方が會津平野で、背炙り山方向の下方に鶴ヶ城が見えたそうです。しかし高層ビルが建ってから、ビルの陰になってしまい、現在は見えなくなってしまったそうです。[あせあせ(飛び散る汗)]
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会津から越後迄の徒歩での大変さが想像を絶することになりますが、その一部でも感じることができましたと言うのもおこがましく感じます(^^♪
歩数は14,000歩強でした[あせあせ(飛び散る汗)]
今では、東北横断自動車道により、車で1時間、一般国道49号でも約2時間で行くことができますが、”僧侶の身なりに扮しながら、危険を顧みず”146年前の越後街道を往来された秋月悌次郎藩士の想いはどんなものであったのでしょうか!!??
~秋月悌次郎顕彰会編集・監修の冊子(戊辰150周年記念)~ img20210107_10451109.jpg img20201021_16035891.jpg
5月5日の会津美里町でのステージで”武士(もののふ)悌次郎”を御披露させていただきますが、今日のこの気持ちを胸に表現したいと思っております(^^♪img20210107_10284297.jpg

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会津美里町芸能慈善事業が開催されます [長嶺氏の追善公演として位置づけされております]

令和6年5月5日会津美里町芸能慈善事業として、会津美里町じげんプラザにおいて開催されます。
主催は、会津美里町芸能慈善事業実行委員会主催ですが、民謡会の御御所・歌川重雄先生が企画立案されました。
当初1曲ということでしたが、先生から『もう1曲』というご連絡があり、2曲の御披露となりました(^^♪ありがたいですネ(^^♪
第1部・古代の文化『伝承は我らの責務』と題して、民謡・舞踊・歌謡が構成されております。
第1部のトリを、不肖・小生が”武士悌次郎”を御披露させていただくことになっております。
第2部が民謡家長嶺芳一追善公演
第3部が町民憩いの広場『聞いて心が癒される』と題して歌謡・舞踊・民謡が構成されております。
3部において、小生は、今年亡くなられた恩師馬場啓介先生作詞作曲の”芦の牧旅情”を御披露させていただきます。恩師に対する追悼の意味もあり、特別な想いをもってステージに立たせていただく気持ちでおります。img731.jpg
・5月11日(土)には、市内天神町ふれあいセンターにおいて、約1時間の故郷を唄う内城 直”民謡・歌謡ショー”を13時30分より開催されることになっております[るんるん](^^♪このふれあいセンターは、2019年11月9日に亡くなられた柾屋和夫後援会長が通っておられたセンターで、5~6年ぶりの民謡・歌謡ショーとなります。
センター長さんのお話ですと、センターを利用されてる方だけではなく、町内の皆様にも声をかけてくださるとのことで、今から楽しみにしております<(^^♪img src="https://blog.ss-blog.jp/_images_e/146.gif" width="15" height="15" alt="[るんるん]" border="0" class="sonet-icon" />(^^♪
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新年も1ヶ月半が過ぎ、我が家の花が倖せを運んでいます [笑顔の”シンビジューム”に癒されます]

2024年2月17日:旧暦で正月8日です。
我が家のパソコンの置いてある小さな部屋は、窓越しの陽射しが優しく入ってきます。
花々にとっては最高の御馳走になる太陽の陽射しです(^^♪
自己流で育てているシンビジュームの花が満開に咲き誇り、連日癒されてます(^^♪
1月に恩師の御逝去ということが起きましたが、シンビジューム等の花に癒されながら、気持ちを前向きにさせられています(^^♪
不思議と、亡くなられたという実感が薄れてきております。
花々の表情が『笑顔』で微笑んでくれています(^^♪
4月迄次々と咲いてくれます(^^♪
~笑顔のシンビジュームです(花自身は、上下反転しています(^^♪)~
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~窓越しの陽射しを浴びてます~
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恩師の告別式が執り行われました [”弔辞”を冷静な気持ちで努める難しさ味わいました]

令和6年1月26日:今日は恩師・馬場啓介先生の告別式でした ”弔辞”を申し上げさせていただきました 
冷静な気持ちで臨むつもりでしたが 今迄のことが走馬灯のように脳裏に浮かび『冷静さを保つ』ことの難しさを味わいました[あせあせ(飛び散る汗)]
参列者が多いとは思っておりましたが想像を遥かに超えており 多くの皆様から 身に余る”ありがたい励ましのお言葉”をいただきました♪

恩師からいただいた”楽曲”を唄いつないでいくことが 恩師に対する恩返しの一部につながるものと信じ 前に進む決意を新たに致しました[るんるん](^^♪
参列者が多いとは思っておりましたが想像を遥かに超えておりました♪
先生のこれまでの業績の大きさを物語っております♪
音楽だけでなく ”あやめ”の研究  ”あやめ苑”の創設と管理に関する指導等々 何事にも極める迄やり通す!!その姿に感銘を受けておりました(^^♪
~パソコンに向かっておられる恩師の ありし日の”お姿”:休憩中~  
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~あやめ苑を設計・重機等を使って創設された””あやめ苑  先生オリジナル品種””高田錦”  ”先生監修の本” 
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~”2019年河井継之助(もうひとりの龍馬)のCDを会津若松市長へ寄贈した時”等々~
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~5年前に開催していただいた『内城 直』としてのお祝いの時の 先生とのツーショット~
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~令和5年4月30日に開催された会津美里町じげんプラザでの”慈善事業”で馬場先生のコーナーで『御礼の言葉』を述べられてる恩師~
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~フイナーレ~
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あやめ苑”を始めとする先生の業績に対し、これまでも”町当局”のトップに進言をさせていただきましたが,ご理解を得られなかったことが”心残り”であり残念でなりません   多くの方が同じ思いをされておりました
独学から始められ 伊佐須美神社の杜に”あやめ苑”を設計・重機を使い造成 試行錯誤を繰り返しながら完成させ 『全国市町村あやめサミット』を成功させ 全国の自治体から”あやめ”に対する講演を依頼される等 会津美里町に”あやめ苑有り”を知っていただいた功績は大きいものがあります!!! img207.jpg img721.jpg
~NHKの取材ロケ~
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昨年6月には 会津美里町での開催が3回目となった”全国サミット”には ボランティァで『あやめの再生事業』に並々ならない情熱を燃やし 見事大成功に導きました  地元紙も大々的に取り上げられてくださったものです

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恩師の訃報にガックリきています [御通夜が25日  告別式が26日です]

令和6年1月25日:恩師である先生が1月23日御逝去されました
今朝の新聞の『お悔み欄』で恩師の訃報を知ることになりました
早速先生宅へお電話を入れ 顔を出させていただきました
眠っておられるかのような 安らかなお顔でした
先生との想い出が”走馬灯”のように頭を駆け巡っております
昨年 入院され手術の前日 『全身麻酔での手術なので その前にあんたの声を聴いておきたい!』旨の電話がありましたが 先生御本人からの電話だったことから”安心”したものでした
手術は無事 成功に済み 退院され いつものように パソコンに向かっておられました
~ありし日の恩師~
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~先生ご自慢の庭の”ツツジ”~
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パソコンに向かって作曲活動をされてるお姿が 先生の姿”なんです[るんるん](^^♪
昨年年末と新年の御挨拶にお伺いさせていただいた際 パソコンに向かっておられた先生に『”芦の牧旅情”を聴いて 厳しく修正してください』旨お願いし 唄わせていただきました
唄い終わった後『どうだったですか!?』と伺ったところ いつもなら『ここのところはこうした方がイイ』と仰ってくれるのが『直すところはネ~ヨ[るんるん](^^♪』と笑顔での返事・・・・初めてのような気がします・・・・・
年末・年始『唄い納め・唄い初め』をやらせていただいたのが最後になってしまいました 
そして今朝の”知らせ”です
明日の告別式では 『弔辞・お別れの言葉』を務めさせていただくことになりましたが 冷静な気持ちで臨むことができる自信は全くありません
何とか努めたいと思っています 

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会津若松の風物詩”十日市”が好天気の中 開催されました [400年以上の歴史がある初市です]

令和6年1月10日:会津若松の風物詩ともなっている歴史ある”十日市”が、神明通り店街・大町通り商店街等の中心市街地において開催されました。
例年、十日市は雪や路面凍結で歩くのにも危険が伴うことが多いのですが、今日は、積雪も路面凍結も無く、日中、好天気に恵まれました。
”風車(かざぐるま)”や”起き上り小法師”等の縁起物を始め、会津漆器等々 軒並み並び 買い求めていらっしゃいました。
行き交う人々が、食べ物をほお張ったり、購入された”風車”や”起き上り小法師”・”食べ物”等を手に持ちながら歩いておられました[るんるん](^^♪
行き交う皆さんが 『”久し振りですネ!!”あけましておめでとうございます』という新年のご挨拶ができるのも十日市ならではのことで、多くの人々で賑わう中、年始めの『交流の場』ともなっております[るんるん](^^♪
神明通りのビル5階にある”エフエム会津”さんに新年の御挨拶を申し上げました[るんるん](^^♪
會津飯盛山白虎隊墓守五代目・書家でもあられる飯盛さまもロータリークラブとして”鶏とろ串”等を出店されておりました。會津のために頑張っておられます[るんるん](^^♪飯盛さまにロータリークラブの会長さんをご紹介いただき恐縮致しました。
『十日市』は市民の皆様が、本気で取り組まれ、寒い中大きな活気ある声を出され、『會津にも明るさが戻ってきたナ~~!!』と感じる”十日市”でした。
これが”伝統行事”たる所以なんですネ[るんるん](^^♪
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~”起き上がり小法師”を転がし、起き上がるのを確認し 購入されようとしております(家族の人数より1個多く買い求められるそうです)~

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~我が家でも飾ってある”起き上り小法師”~”七転び八起き”の強い気持ちが込められています[るんるん](^^♪
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そういえば、着物姿で歩いておられる方が目につかなかった”十日市”でした[あせあせ(飛び散る汗)][るんるん]
中心市街地商店街での この賑わいが、普段・少しでもあれば嬉しいんだけど!!と思いました[あせあせ(飛び散る汗)]
昭和40年代の頃は、約360mの神明通りにデパートが4軒くらい(若松デパート・ライオン堂・長崎屋・大善デパート等)建っており、屋上には、子供の遊び場・遊具施設があり、買い物客で賑わっていたのは、過去の話だと思うしかないのかナ~!!と残念がってる一人です[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)](^^♪
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あけましておめでとうございます [皆様にとって好い年でありますように]

令和6年元旦
あけましておめでとうございます
本年も御指導 ご支援の程 よろしくお願い申し上げます
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久し振りに恩師宅を訪問させていただき、”うた”「を聴いていただきました [”芦の牧旅情”をマイク無で唄わせていただきました]

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2023年12月3日(日):久し振りに恩師・馬場啓介先生宅を訪問し”うた”を聴いていただきました。
先生が退院され、先生より『頼みたいことがあるので来て欲しい』旨のお電話があり、年末のご挨拶方々 訪問させていただきました。
奥さんもお茶を用意してくださったりしながら、1時間ちょっと歓談させていただきました。
先生は、いつものようにパソコンに向かっておられましたので、安心させられました(^^♪
『”うた”を久し振りに聴いていただけませんか』とお話ししたところ、パソコンに入力されている”音源”を出してくださり、”芦の牧旅情”をフルコーラス唄い 聴いていただきました。
先生に『”唄い方”に変わったところがあればおっしゃってください(^^♪』とお願いしたところ、『直すとこネ~~(^^♪[るんるん]』との言葉を笑顔でいただき、ホッとしたところです[るんるん](^^♪
やはり原点に戻った感じで 素晴らしい時間を共有させていただきました。
ツーショット写真との想いもありましたが、次の機会の楽しみに!!との想いから、今日 撮らせていただくことは差し控えさせていただきました(^^♪
恩師・馬場啓介先生には、これからも、作詞・作曲を続けていただきながら『新曲ができたので聴いてみて!!!!』と言っていただくことを楽しみに待っています[るんるん](^^♪
~馬場先生のオリジナル品種 あやめ ”高田錦”~
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只見線会津塩沢駅が副駅名として”河井継之助終えんの地駅”となりました [河井継之助記念館のある只見町塩沢地区の駅]

本投稿がパソコンの操作の不慣れのためFacebookへ投稿したものを削除してしまいましたので、再度投稿し直しさせていただきました(^^♪
令和5年10月1日:只見線再開通1周年を記念して、会津塩沢駅が副駅名:『河井継之助終えんの地駅』となりました。
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"副駅名"『河井継之助終えんの地駅』として命名され喜んでいる一人であります。
只見の吉田六郎先生が”実話”をもとに”河井継之助(もうひとりの龍馬)”として作詞され楽曲として誕生しております。
吉田先生は2,019年大晦日に御逝去されましたが、先生の想いは後世に残ります。
吉田六郎先生が御存命であれば 大きな拍手をされながら歓んだことでしょう(^^♪(目に浮かびます[るんるん](^^♪)
~河井継之助記念館駐車場での ありし日の吉田六郎先生~
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私も微力ながら、精一杯”うた”を発信し続ける所存であります[るんるん](^^♪
河井継之助記念館が建立されている只見町塩沢地区にある駅です。
1868年(慶応4年)8月16日が長岡藩家老・軍事総督”河井継之助”の命日になります。
1,868年の戊辰戦争において、長岡藩家老・河井継之助は、左膝に銃弾を受け、瀕死の状態で”八十里越え”により、只見中ノ平入叶津に辿り着き、塩沢の矢澤宗益医師宅で42歳の生涯を終えられた。
河井継之助が終焉を迎えられたその部屋は、河井継之助記念館内に移築保存されております。
只見町中ノ平うで生まれ育った吉田六郎さの祖父・吉田安太さんが12~3歳の頃、傷ついた河井継之助を直に見たその様子を、孫の吉田六郎に詳細に伝えたのです。吉田六郎さんは克明に記憶されました。
吉田六郎さんが米寿を過ぎた頃、傷ついた河井継之助の様子等を詞にし書き留めておかれ、後に、河井継之助(もうひとりの龍馬)の楽曲誕生につながり、私が唄わせていただくことに繋がったものです。

~河井継之助命日・8月16日に執り行われる墓前祭(医王寺)・当日河井継之助記念館入館無料になっています~
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本年の墓前祭には、長岡藩・牧野忠昌第十七代目当主が御出席くださいました。
第十七代目当主とツーショットの写真を撮らせていただきましたが、おそれ多くて、掲載はご遠慮させていただきます[るんるん](^^♪ 20220816_111145.jpg 20220816_115248.jpg 20220816_115656.jpg
~河井継之助(もうひとりの龍馬)のCDジャケット~ img116.jpg img120.jpg img403-c0eef.jpg
~誕生秘話のまとめ~ img340.jpg img339.jpg
作詞をされた吉田六郎先生は、2,019年の大晦日にご逝去されました(合掌)
これまで、”会津魂””只見・川がたり””河井継之助(もうひとりの龍馬)”の3曲を作詞され、恩師・馬場啓介先生による作曲のコンビでの楽曲誕生で、わたしが唄わせていただいております
亡き吉田六郎先生が御逝去され、来月で丸4年になりますが、今、ご健在でおられれば『何ほど歓ばれたことでしょう!!!』
これからも より一層”新たな気持ち”で精一杯唄わせていただく所存ですので 見守っていてください(^^♪

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不知身柿(みしらずがき)の”干し柿”を吊るしました [この時期の会津の”干し柿”の風景です]

令和5年11月11日:不知身柿(みしらずがき)を『もいで』皮を?き、”干し柿”を作り、軒先に吊るしました。
我が家では、この時期の作業になります。
昨年より5連少なく吊るしました(冷凍庫が満腹状態ですので[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)][るんるん]
※縦・横 整理されていない中で 吊るしてしまいました(^^♪
この”不知身柿(みしらずがき)”は門田町堤沢・恩人の家の柿の木ですが、自分で”もいで”きたものです(^^♪
12月まで、寒風と太陽の陽射しによって、茶褐色になるまで、軒先に吊るしておきます。
12月の中旬頃迄吊るしておき、その間数回 柿を優しく”もみ”ながら 柔らかさを保ち・甘みが増すのを期待し 作り上げていきます。
出来上がりますと、冷凍庫に入れ保存しながら、1年間・大事にしながら食べるようにしています。
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~2週間後です(並びを少し直しました)~
少し”茶褐色”に変化してきました[るんるん](^^♪
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10月12日秋月悌次郎『北越潜行詩碑碑前祭』が秋晴れの下執り行われました [鶴ヶ城三の丸北越潜行詩碑の前にて]

2023年10月12日午後1時:戊辰戦争から155年を迎えた本年も  秋月悌次郎北越潜行詩碑碑前祭が執り行われました。
北越潜行詩碑は、1868年(慶応4年)戊辰戦争で降伏し、その降伏式を取り仕切った會津藩士・秋月悌次郎が謹慎の身になりなりながらも、自分の身の危険を顧みず、密かに謹慎所を抜け出し、旧知の長州藩士・奥平謙輔を訪ね、『会津藩主・松平容保公の減刑を嘆願』また『会津の将来を託す若者の教育をして欲しい』と嘆願し、受け入れていただき、実行していただきました。
越後に行ったその帰り途に”会津坂下町の越後街道 会津盆地を見下ろせる”束松峠”の頂上で詠まれたのが『北越潜行の詩』です。
『行くに輿(こし)無く 帰るに家無し』で始まる”詩”です。
秋月悌次郎の”万感の想い”がこの詩の中に込められいるものと思います。
この”北越潜行詩碑”は束松峠の頂上と鶴ヶ城三の丸に”詩碑”が建立されております。
秋月悌次郎顕彰会主催、午後1時から鶴ヶ城三の丸『北越潜行詩碑』の前広場で執り行われました。
~10月18日福島民友新聞に”碑前祭”の記事が掲載されました~ img20231018_09234327.jpg
~碑前祭当日~ 20231012_125731.jpg img20231013_13584642.jpg 20231012_130432.jpg
その厳かな雰囲気の中で平成18年に作詞・篠田貞三先生 作曲・サトウ進一先生の同級生コンビで作られた作品”武士悌次郎(もののふていじろう)”を捧げさせていただきました。
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~平成21年10月14日の碑前祭の際に 篠田貞三先生とサトウ進一先生の同級生コンビで『顕彰会会歌』として作られた曲で、両先生が御出席になり サトウ進一先生自ら唄われた際の貴重な御写真です~

私が顕彰会から『戊辰150周年を迎えるにあたって もっと広く知っていただくようにしたい』旨の御話により”オリジナル曲として唄わせていただくようになった後、”篠田先生の弟様から『記念に!!』といただいた貴重な御写真です。
微力ながら 機会あるごとに ステージで唄わせていただいております(^^♪
※私の中では、特に三番目の最後の歌詞『弧愁に生きた 悌次郎』の部分に、作詞の先生も、秋月悌次郎の想いを”凝縮”されたと強く感じながら表現させていただいております(^^♪[るんるん]
[るんるん](^^♪[るんるん]
向かって左が作詞/篠田貞三先生 右側が作曲/サトウ進一先生
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”唄う身”にとってこれほど名誉なことはありません。御無礼がないように精一杯 務めることができたものと思っております(^^♪
『”うた”をやってて好かった!!』と思える至福の時間でした(^^♪[ムード]
~CDジャケット~
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~秋月悌次郎顕彰会発刊の表紙~
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~秋月悌次郎生誕の地~
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~戊辰150周年の時の詩碑碑前祭で捧げさせていただいた時~
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~毎年4月29日に行われている会津坂下町”束松峠”頂上の北越潜行詩碑の前で”武士悌次郎”を捧げさせていただいた時~
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~越後街道~
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~鶴ヶ城開城・会津藩降伏式の”錦絵”~秋月悌次郎が取り仕切った img20201021_16035891.jpg
本錦絵『会津軍記』若松城降伏開城の図が『史実とは異なっている』旨の説明が、本年10月12日の秋月悌次郎詩碑碑前祭終了後、場所を移動しての総会の前に、新秋月悌次郎顕彰会石田会長より説明・お話がありました。
パパパ~~ッ!!と錦絵を出されながら説明をされましたが、『どこがどのように違うのか』を理解できないまま、現在に至っています[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]
本錦絵を信じ切り、当時の降伏式を自分なりに想像しておりましたので、歴史家としての肩書を持たれている石田会長の突然の『違っています!!』の説明・お話しには戸惑いがありました。錦絵に登場されてる人物等も含め、機会をみて詳しくお聞きしたいと思っております。他の方に聞いても、『よく解からなかった!!』との声が多いのも事実です。[あせあせ(飛び散る汗)]
『鶴ヶ城開城』の時の”錦絵”として残っているもので、降伏式の時の”錦絵”等は、これ以外の物は目にしておりません。路上に敷いてある”朱色の毛氈”は、降伏式が終わった後、降伏式を取り仕切った秋月悌次郎は、小さく切り刻んで藩士達に配ったと伝えられており、藩士たちは肌身離さず持ち歩き、再興を誓い合った大事な”涙血氈(きゅうけつせん)”と呼ばれております。
”会津魂””武士悌次郎(もののふていじろう)””河井継之助(もうひとりの龍馬)”等の『武士の楽曲』を唄う際には、本”錦絵”を頭に思い浮かべながら唄っている大事な”錦絵”です[るんるん](^^♪

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會津まつりが通常通り開催されました [歴代藩公行列に秋月悌次郎御子孫参加されました]

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令和5年9月23日;會津まつりがコロナ禍の前の様に通常通り盛大に開催されました。
22日から24日までの3日間です。
会津藩士子孫会の皆様が前の日は、市内の某ホテルにおいて、総会及び懇親会が開催されました。
私も会津藩士・秋月悌次郎をうたった”武士悌次郎(もののふていじろう)”という楽曲を唄わせていただいており、秋月悌次郎の御子孫が来若されましたので表敬訪問をさせていただきました。
有難いことに懇親会の席上”武士悌次郎(もののふていじろう)”を御披露させていただく機会を得 感動させていただきながら唄わせていただきました。
~秋月さんが撮ってくれた”武士(もののふ)悌次郎”をご披露申し上げてるところ~
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會津藩主・松平容保公が京都守護職に就くと、他藩や公卿との折衝役としての公用方を命じられ活躍されました。
1868年(慶応4年)戊辰戦争において約1ヶ月に及ぶ籠城戦の結果 降伏致しましたが 秋月悌次郎は軍事奉行添役としてその降伏式を取り仕切りました。 會津藩にとって 重要な立場にあった訳であります。 この行列を拝見して思うことは、歴代藩公の他に 各藩の名将が連なる中にあって 秋月悌次郎の名が出てこないことが残念に思う一人です。 せっかく秋月悌次郎の御子孫が参加されているのに”会津藩士子孫隊”の一員としての立場です。私の中では?????であります。
ただ コロナ禍の前の様に會津まつりが開催されたことは大変喜ばしいことと思っております。
~會津藩士子孫隊~ 旗を持ってるのが山川健次郎 その後ろに大勢の会津藩士子孫隊:その中の一人が秋月悌次郎(の子孫)という構図での行列に違和感を覚えました[あせあせ(飛び散る汗)] 戊辰戦争で降伏式を取り仕切った”秋月悌次郎”そして謹慎の身にな った後、その中で自分の危険を顧みず、越後にいる長州藩の奥平兼輔を訪ね『藩主・松平容保公の減刑と山川健次郎ほかの白虎隊の一員を預かって育てていただくよう願い出た』、そういう歴史的背景があり、山川健次郎は、後の世の中に名を残すように繋がったのであります。 20230923_115350.jpg
~保科正之公の会津若松市長~ 20230923_113619.jpg 20230923_120617.jpg
~長岡藩家老・軍事総督 河井継之助~
河井継之助は秋月悌次郎と交友があった。
河井継之助1827年生れ  秋月悌次郎1824年生れ 3歳の年齢差があります。 img700.jpg
~福島民友新聞の記事掲載から抜粋させていただきました~ img20230925_11324781.jpg img20230925_14014146.jpg

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居高町祭りが好天気の中 開催されました [町内会手作りの素晴らしい祭りでした]

令和5年9月16日(土):居高町町内会のお祭りが盛大に開催されました(^^♪
町内会の皆さんの御祭りに対する取り組みの本気度が伝わって参ります(^^♪
子どさん方から敬老祝いをされる方々迄が集う 素晴らしい御祭りです
(^^♪ややもするとこういうお祭りを実施される町内が少なくなってきている現状がある中で 継続されてることそのものが素晴らしいことですョネ(^^♪
16時から 町内の皆さんによるカラオケ大会 フラダンス  日本舞踊 内城 直歌謡ショー バンド演奏等 数多くの演目が用意されておりました。
『内城 直』としての歌謡ショーは数年振りになりますが、2020年からのコロナ禍が落ち着いた本年 声をかけていただき こんな嬉しいことはありません(^^♪
25分間の歌謡ショーということで 7曲ほどのプログラムを構成させていただきました。
14時過ぎにカラオケ音源の確認をさせていただき 16時少し前に会場入りをし 時間を調整しながら 歌謡ショーに入る準備をさせていただきました。
オープニングは”芦の牧旅情”そして”会津三泣き” 会津線が会津若松~田島~東京浅草駅まで直結となった第三セクター会津鉄道開業記念・賛歌”走れ ふるさと本線” その後に”浪曲子守唄””白虎隊””河井継之助(もうひとりの龍馬)””アンコールに応えさせていただく形で”感 謝”で締めくくらせていただきました。
『生のステージはやはりイイもんだナ~~』とつくづく思いました。
それにしても町内の皆さんの頑張りには頭が下がります。
つながりのある来賓の皆様とも顔馴染みになっておりますし また お客さんの多いことにはいつものことながら感心させられます(^^♪
町内の皆さんが”かき氷””ビール””ジュース””焼き鳥”等々を販売され、皆さんが飲み食いしながら楽しんでおられました(^^♪
昔ながらの素晴らしい光景です(^^♪

~自分のステージ模様の写真はありませんのでご了承ください~
愉しんでおられる様子を伝えられる写真撮影をできなかったことを申訳なく思っております[あせあせ(飛び散る汗)]
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顔馴染みの方々が多くなり声をかけていただきながら楽しいステージになるよう務めさせていただきました(^^♪『CDを譲って欲しい』旨のお電話をいただいた町外からのОさん等 久し振りに声をかけていただき 充実した時間を過ごさせていただきました(^^♪
更には 御来賓の方から10月のイベントへのお誘いを受けたことも大きな財産になります(^^♪
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河井継之助墓前が只見町医王寺境内墓前にて執り行われました [墓前祭終了後『語り合う会』に参加致しました]

令和5年8月16日:送り盆の日でありますが 只見町塩沢の矢澤宗益医師宅で 1868年8月16日に42歳の生涯を閉じられた 長岡藩家老・河井継之助総督の命日にあたります。
墓前祭開始前に”河井継之助記念館”に御挨拶をさせていただきました。 その時に”長岡”の名入りのバスが到着されましたので ”河井継之助(もうひとりの龍馬)”のCDと”楽曲誕生の秘話”を書いた用紙を贈呈させていただきました。
最初に声をかけさせていただいたのが 何と”長岡藩主牧野家17代当主”の牧野忠昌先生でした。名刺を交換させていただきました。最初 17代当主とは知らず 『とてつもない失礼をしてしまった!』ことを反省しました[あせあせ(飛び散る汗)][るんるん] 墓前祭の”指名焼香”をされる際 再認識いたしました。
墓前祭は11時30分 渡部実行委員会代表の挨拶に始まり 慈眼寺住職の読経 只見町長の追悼の言葉 御焼香と続き 閉会となりました。
『河井継之助を語る会』の会場へ行く途中 失礼とは思いながらツーショットの写真をお願いしたところ快くお引き受けくださり”感謝”を申し上げます(^^♪
17代当主の『こころの寛大さ』にお礼を申し上げます(^^♪(ツーショットの写真を掲載させていただくことは控えさせていただきます。本音は掲載したい気持ちはありますが[あせあせ(飛び散る汗)][るんるん]


この度 会津塩沢駅が ”河井継之助終焉の地駅”と新しく生まれ変わることになることを知りました。
JR只見線の再開通となり 河井継之助の終焉の地の駅名が変更になることは 二重の歓びでもあります(^^♪
1868年の戊辰戦争の際 左膝に銃弾を受け 瀕死の状態で”俄か担架”で”八十里越え”により只見入叶津に辿り着き 約12日間滞在し 塩沢の矢澤宗益医師宅で42歳の生涯を閉じられました。
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~楽曲・河井継之助(もうひとりの龍馬)誕生秘話~
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12時30分より『河井継之助を語る会』が只見町公民館において開会されました。
只見町 渡部実行委員長さんの御挨拶に始まり
長岡藩主17代当主・牧野家資料館名誉会長 牧野 忠昌先生始め河井継之助記念館館長さん  会長さん 多くの皆様がお出でくださったことには 驚きと共に お逢いできた”有難い気持ち”が沸き起こりました[ムード]
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司会進行役の地元の名士・目黒俊行氏の軽妙な進行により和やかな中にも”厳かに”進められ 楽しい”語り合う会”となりました。
最後に小生も皆様の前でお話をさせていただく機会を得 嬉しいやら 有難い気持ちが先行しました。
小生が ”河井継之助(もうひとりの龍馬)”を唄わせていただいておりますが、河井継之助の読み方を『かわいつのすけ』『かわいつのすけ』と二通りの唄い方を 唄う地域によって使い分けておりましたが 長岡藩の代表の先生方から『どちらでも好いでしょう』という旨のお言葉があったことにより 『気持ちが楽になりました』旨のお話をさせてい御ただきました(^^♪

只見町の関係者の先生方  長岡河井継之助の関係者の先生方との名刺交換やお話をさせていただくことができ 充実した1日になりました


長岡からバスで来られた皆様方をお見送りをし、只見町の関係者の皆様に御礼を申し上げ、公民館を後にし 作詞をされた吉田六郎先生の墓前に線香を供えながら報告をさせていただきました。健在でいらっしゃれば『ご一緒に参加できたのに!』と思うと心が痛みます。
その後 旧田島町の家に行き 先祖・両親・兄姉妹が眠るお墓に”送り盆”をし家路につきました。
今日は、南会津郡を一周したことになりますが、気持ちの中では 何か充実させていただいた一日であったような気持ちです[ムード]
心から御礼感謝を申し上げます(^^♪
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西若松駅を愛する会主催第16回『元気を取り戻そう!』城西夏祭り [”内城 直コンサート”を務めさせていただきました]

令和5年8月5日(土):西若松駅を愛する会主催第16回『元気を取り戻そう!』城西夏祭りが開催されました。
15時オープニングセレモニー
私は 17時35分から18時までの25分間の『内城 直コンサート』と企画されており、事前に音合わせをさせていただきながら務めさせていただきました。
いつものことながら、酷暑の中、一生懸命音響を担当してくださっている関係者に頭が下がります。
好い”音響”の中唄わせていただきました。
主催者の会長さんはじめスタッフの皆さん・焼きそばやフランクフルト・かき氷等々 皆さんが一生懸命頑張っていらっしゃる姿に感動です[あせあせ(飛び散る汗)][るんるん]
小生の次男家族も応援に駆けつけてくれて、いろんな食べ物に舌鼓を打ちながら、ステージを観てるのか食べ物を楽しみにしてるのか分からないくらい楽しんでおりました。
こういう大きな祭りイベントは好いものだナ~~(^^♪とつくづく思いました(^^♪
”内城 直”としてのステージのオープニングは、”会津三泣き”次に”芦の牧旅情””そして 会津鉄道・西若松駅から会津高原尾瀬口駅の開業記念曲”ふるさと本線”をご披露させていただきました。開業されてから70周年になるんですネ(^^♪
そして”浪曲子守唄”その後には、武士のうたを2曲。戊辰戦争で会津のために戦い、左膝に銃弾を受け 瀕死の状態で越後から”八十里越え”により只見に辿り着き、結果的には只見塩沢・矢澤宗益医師宅で42歳の生涯を閉じられた長岡藩家老・河井継之助を詠った”河井継之助(もうひとりの龍馬)”、最後に 戊辰戦争の鶴ヶ城開城の降伏式を取り仕切った会津藩士・秋月悌次郎を詠った”武士悌次郎(もののふていじろう)”をご披露させていただきました。
最後の武士の2曲をご披露させていただいてる時に、秋月悌二郎と3歳年下の河井継之助の交友・交遊録を頭に置きながら、更には、戊辰戦争の前後に拘わられた歴史的背景を想いながら唄わせていただいています(^^♪
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~前の時は着流しが多かったですネ~
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音響さん始め司会者進行役の皆さん・実行委員会の皆様のおかげで 気持ちよくステージを務めさせていただきました。ありがとうございました(^^♪
地元でのステージは格別な気持ちでやりがいのあるステージでありがとうございました(^^♪


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日本歌手協会第2回夢舞台『一曲入魂』が大盛況の内に終了致しました [多くの御様がご来場くださいました”感謝”です]

2023年7月28日:代々木上原古賀政男記念博物館けやきホールにおいて、日本歌手協会主催 第2回『夢舞台一曲入魂』のステージが 大盛況の内に終了いたしました。
当日は、猛暑の中にありながらも いつものように 受付には”根本美希ちゃん”事務局の”山崎さん”等 スタッフとして事務局の石川さん・有賀さん等がご挨拶やら 接客等に一生懸命務められておりました。頭が下がります(感謝です)
岡島さん・八木さん始め蒔田さん等 出演者の仲間の皆さんともご挨拶を交わさせていただきながら 愉しい時間を共有させていただきました。(御礼)
~ポスター~
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~当日の進行表が届けられておりますので掲載させていただきます~
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当日、進行役を務めてくださったのが歌手協会理事長の合田道人先生 理事の松原のぶえさん
いつものように軽快なMCの下 ご紹介いただき スムーズに進められていきました[ムード]
進行表には掲載されておりませんが オープニングは松原のぶえさんのデビュー曲”おんなの出船”、最後の方では合田道人先生・田辺靖雄会長のうた、そしてㇷィナーレは”明日があるさ”でした[ムード]ありがとうございました[ムード]
”会津三泣き”を気持ちよくご披露させていただきました。
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このステージ模様は 後日 YouTube動画で配信されますので楽しみにしていただければありがたいですネ[ムード]


ステージ終了後 応援にかけつけていただいた皆さんと昼食・コーヒータイム等 楽しい時間を過ごさせていただきました[ムード]
猛暑と言っても 東京と會津では 日中は同じように感じますが 夜になると全く異なります(飛び散る汗)
東京の夜は外に出ると『空気が”ム~ン!!”』と熱く汗がジットリと”噴き出る”  
會津の夜庭に出ると山からの自然の風が”心地好く”感じる!! 大きな違いがあります^^♪[

夜中でも起こる”熱中症”という言葉が分かるような気がします!!

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古賀政男記念博物館けやきホールでの第2回夢舞台が明日になりました [地元以外で”会津三泣き”は初披露ですネ]

日本歌手協会主催 第2回夢舞台『一曲入魂』が明日・令和5年7月28日になりました(^^♪
東京渋谷区上原・古賀政男音楽博物館 ”けやきホール”です。
昼の部と夜の部ですが 私は”昼の部”11時30分開演となります。
昨年は第1回目でしたが長岡藩家老・河井継之助を題材にされた”河井継之助(もうひとりの龍馬)”をご披露させていただきました。
昨年に続いてのステージになりますが 今年は、初心に帰る気持ちで、民謡を母体としていた自分が、大手企業の幹部の方が転勤・転出される時にご挨拶に来られ『”会津三泣き”を経験させられました[るんるん]』という言葉が心に残り、その言葉が大きなヒントとなり、15年前の平成21年に初めて”詞”を書いて、作曲の先生にお見せしたところ『今までに無い歌謡曲で面白いんじゃないか!?』という話となり”楽譜”がつけられ まさかの”楽曲誕生”につながった”会津三泣き”を御披露申し上げることになっております。
作曲は奥咲 健先生  編曲が馬場啓介先生で お二人の先生により誕生させていただいた楽曲で”故郷を唄う 内城 直”誕生につながり、その後の活動に大きく変化することになった”会津三泣き”です。
考えてみれば 地元以外のステージでは”会津三泣き”を御披露申し上げたことがないのではと思っています[あせあせ(飛び散る汗)][るんるん]
【”会津三泣き”の意味内容】
”一泣き”転勤等で”会津”へと告げられた時に、『あんな山の中・寒い雪国に行きたくないとか、会津に移った際になかなか会津に馴染めずに寂しくなって泣く等々』を言っております。
”二泣き”:会津に移られた後 時間の経過と共に、『友達もでき”今夜も飲もうョ”とか会津の人達の厚い人情に触れたり美しい自然に触れたりして”嬉し泣き”をする等々』を言っております。
”三泣き”:会津から他の地区への転勤命令が出された時等の際、せっかく慣れ親しんだ”会津”を去らなければならなくなり ”離れ難くて泣く”等々  『仕事の転勤やほかの事情で会津に移られた方々が経験される”三泣き”』これらの内容を唄っております。
最初のCDは”会津三泣き””芦の牧旅情””男と女の二人酒””のれん雨情”の4曲入りという贅沢をさせていただきました。
~ポスター~
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~当日の進行表が届けられましたので掲載させていただきます~
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~終了いたしました~

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ステージ終了後 応援にかけつけていただいた皆さんと昼食・コーヒータイム等 楽しい時間を過ごさせていただきました[ムード]
猛暑と言っても 東京と會津では 日中は同じように感じますが 夜になると全く異なります[あせあせ(飛び散る汗)]
東京の夜は外に出ると『空気が”ム~ン!!”』と熱く汗がジットリと”噴き出る”  
會津の夜は庭に出ると山からの自然の風が”心地好く”感じる!! 大きな違い
があります(^^♪[ムード]

夜中でも起こる”熱中症”という言葉が分かるような気がします!!
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800余年の歴史ある田島祇園祭が3日間開催されます。嬉しいですネ [”畑うない”と祇園祭 愉しみました♪]

令和5年7月2日(土):晴れ間の多いガンガン照りの日でしたが 普段留守にしてる約45㎞離れている田島の家の”畑うない”をするのが目的でお昼から出かけました。
家に着くと同時に一休み抜きで 作業着に着替え ”カンリキ”にガソリンを入れ作業開始!!!!
結構雨が降ったせいもあって草の伸び方が速く   覆い茂っていました。
思ったより作業がはかどらず苦慮しましたが 一旦休憩するとどうしても次の作業に取り掛かるまで自分のエンジンがかからなくなってしまうので 自分に打ち勝って作業開始!!!!
次に 畑の周囲の草が伸びているのを見て 草刈り機を出し作業開始!
何か ”意地”でやってる感があります。作業するモードが継続してる間に続けてやる感じです。[あせあせ(飛び散る汗)]
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作業が終了した後 家に入って一休みのコーヒータイム[ムード]これが”至福”の時間なんですネ[ムード]終了すると 『やり切った!』の気持ちのもなりますネ(意地でやってるんですけどネ[あせあせ(飛び散る汗)][るんるん][ムード]


【800余年の歴史伝統ある田島祇園祭】
その後 7月22日から24日の3日間 800余年の歴史伝統ある国指定重要無形民俗文化財”田島祇園祭”の宵祭りに出掛け 街中を散策・かっ歩させていただき 祇園祭を堪能させていただきました[ムード]
田島祇園祭は、”京都 八坂神社 祇園祭” ”博多祇園祭”と日本三大祇園祭と言われております。
御党屋制度であり 御党屋本から神前へお供え物を献上するものです。”田出宇賀神社” ”熊野神社”迄 七器行(ななほかい)行列といわれ 御神酒(どぶろく)角樽3・赤飯3・魚(鯖)1を捧持するもので 男子裃姿 女子・花嫁姿となります。
昨年は大屋台は運行されたものの 街中の露店出店は規制されたので 祭りらしい景色は無かったのですが 本年は田島駅前は勿論 大通りも含めて 露天商が軒並み並び 活気に溢れており やっと”祇園祭”らしさが戻ってきたナ~~!!!![ムード]♪?♪(^^♪と嬉しさがこみ上げてきました。
やっぱり祇園祭は 三味線の奏でる独特の音色の『シャンギリ』の音が街中に流れ  賑わう街中の大通りを大屋台が 子供たちの『オ~ンサ~ン ヤレカケロ~~!!』の大きな掛け声とともに運行される・特別な想いです(^^♪
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大屋台4台も練り歩き 大屋台を人力で運行する大人達の本気度と『オ~ンサ~ンヤレカケロ~~!!!!』の子供たちの大きな掛け声が胸にしみました(一歩間違うと大怪我につながる大屋台の運行ですから”真剣”です!!!!
当日 運行中に 役員の方がカメラを向けている方に 大きな”怒鳴り声”で注意しておりましたが マナ~を守らず危険な場所でカメラを向けていたので”怒鳴り声”は止むを得ずの言葉と受け取りました:万が一 大きな怪我につながるし 万が一の際はそれ以上の事故につながりますからネ:とっさの場合は優しい声で『ダメですョ~!』では危険を避けられないですからネ!!!![あせあせ(飛び散る汗)][るんるん][ムード]♪?♪(^^♪
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夕方から予定されているプログラムでの”子供歌舞伎”に感動させられました[ムード]
~子供歌舞伎の上演~
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~今日23日は朝7時50分から 西町下組御党屋組を出発し神社まで 花嫁衣装ともいわれる”七器行行列”が行われます~
氏子から神前に御供えもの(”どぶろく”の入った酒樽3 赤飯3 魚・鯖1)を裃姿の男子 日本一ともいわれる花嫁行列をしながら 神社へお供えものを献上するものです。
祇園祭期間中は 田出宇賀神社  熊野神社へお参りされると”どぶろく”が振舞われます。いただくのを何回も繰り返すと 飲み口が好いので ”酔い”が回りますので ホドホドにされたほうがよろしいかと思います(昔の自分の経験から・・・・)[あせあせ(飛び散る汗)][るんるん]
今回は 23日の七器行(ななほかい)行列は拝見しませんでしたので 数年前に撮った写真を掲載させていただきます[あせあせ(飛び散る汗)][るんるん]
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城西夏祭りが『西若松駅を愛する会』主催で開催されます(西若松駅東口広場) [『内城 直コンサート』を開催させていただくことに]

2023年8月5日(土):第16回”元気を取り戻そう!”城西夏祭りが『西若松駅を愛する会』主催により,西若松駅東口広場を会場に開催されることになりました[るんるん]
オープニングが15時となります。
日本舞踊・ヨーデル・レクダンス・フラダンス・YOSAKOI會舞道郷土・内城 直演歌コンサート・ストリートダンス・ビッグバンド等々 多種多彩のプログラムが組み込まれております。
自分以外の個人の氏名等については、該当される方の承認を得ないまま掲載することは控えさせていただきました[あせあせ(飛び散る汗)]
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『内城 直コンサート』は17時35分~18時までの25分間を予定されております。
プログラムは構成中ですが、『故郷を唄う 内城 直』として、会津を題材にした”会津三泣き””芦の牧旅情”会津線が東京浅草までつながった”第三セクター 会津鉄道開通記念賛歌”記念曲として発表された”走れ ふるさと本線”を始め、皆様がよくご存じの”浪曲子守唄”等を組み入れる等、皆様に喜んでいただけるよう楽曲の構成を考えておりますので楽しみにしていただければありがたいと思っております[るんるん]

昨年は持ち時間20分間の時間でありましたが、今回は25分間ということでありますので、昨年よりも多少多いМCを入れ、皆様にも語り掛けながらの構成を考えておりますのでよろしくお願いいたします。
主催者に感謝申し上げます。
~プログラム構成が済みまして 一部変更もあるかもしれませんが このような内容で進めたいと思っております[るんるん]
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本ステージでの3番目に位置付けてる”走れ ふるさと本線”という楽曲が特にこだわった曲です。
この曲は、廃止路線の候補となった”会津線”を、『廃止させてはならない!!』との地域住民の強い気持ちが行政を動かし、その結果、福島県・会津若松市・関係市町村が株主となり、第三セクター会津鉄道として開業、会津若松~会津田島~鬼怒川~浅草間を結ぶ重要路線・開通記念賛歌として作られた楽曲です。会津鉄道の役員の方が倉庫に眠っていた作詞紙面を探し出してくれました。カラオケ音源は恩師・馬場啓介先生が保存してくれていたものです[るんるん]
作詞は、地元の大内美智雄先生  作曲は柳津町出身”野呂昇平先生(サトウ進一先生:武士悌次郎を作曲された別のペンネーム:レコード会社の専属作曲家となっておられるので、専属以外ではペンネームを変えられています)です。
本夏祭りでは必ずご披露させていただく大事な曲です[るんるん]
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日本歌手協会第2回夢舞台『一曲入魂』が開催されます [8月5日は会津・西若松駅東口でコンサートです]

令和5年7月28日:日本歌手協会主催 第2回夢舞台『一曲入魂』の出演が決定し ポスターが届きましたので掲載させていただきます[ムード]
東京渋谷区上原・古賀政男音楽博物館 ”けやきホール”です。
昼の部と夜の部ですが 私は”昼の部”11時30分開演となります。
昨年は第1回目でしたが長岡藩家老・河井継之助を題材にされた”河井継之助(もうひとりの龍馬)”をご披露させていただきました。
昨年に続いてのステージになりますが 今年は、初心に帰る気持ちで、民謡を母体としていた自分が、15年前の平成21年に初めて”詞”を書いてみたところ”楽譜がつけられ まさかの楽曲誕生につながった””会津三泣き”を御披露申し上げたいと思っております。
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作曲は奥咲 健先生  編曲が馬場啓介先生で お二人の先生により誕生させていただいた楽曲で”故郷を唄う 内城 直”誕生につながり、その後の活動に大きく変わることになりました。
最初のCDは”会津三泣き””芦の牧旅情””男と女の二人酒””のれん雨情”の4曲入りという贅沢をさせていただきました。
~ポスター~
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~当日の進行表が届けられました~
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2023年8月5日(土):第16回”元気を取り戻そう!城西夏祭り!”が『西若松駅を愛する会』の主催で開催されます[るんるん]
西若松駅東口広場において15時~19時 模擬店(焼き鳥  焼きそば かき氷 地酒  ビール・ジュース等々)が並び 賑やかに盛大に開催されます[るんるん]
”内城 直コンサート”は17時35分~18時の25分間の予定です。
多くの皆様にお祭りを楽しんでいただければありがたいものと思っております[るんるん]
"故郷を唄う 内城 直"として、”会津三泣き””芦の牧旅情”を始めとする会津を題材にした楽曲を基本に、"浪曲子守唄"や"大利根無情"等を組み入れながら、皆様に楽しんでいただけるような構成を考えております[るんるん]

自分以外の個人名については 了解無しでの掲載は控えさせていただきました[あせあせ(飛び散る汗)]
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おおよその構成は頭の中にありますが、じっくり練って公表させていただければと思っております[るんるん]




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ありがたいステージを企画いただきました”感謝”あるのみです [真剣さの中にあっても”楽しいステージ”でした]

令和5年6月21日:ありがたいステージを企画いただき ”感謝”あるのみです[るんるん]
今回のステージは 私の原点でもあります”元職場”の年金者連盟合津若松支部の総会後の懇親会の席上でした。いわば身内・仲間内での懇親会の席上ということで ”嬉しさ”は勿論ですが”御礼””感謝”の気持ちで気合が入りました。
元市長でもある菅家一郎現衆議院議員・室井照平現市長もご出席くださり、私がステージを務めてる間は、”じっくりお聴きいただいてる姿が有難く”お陰様で大盛況の懇親会となりました。
顔馴染みの皆様の前で『故郷を唄う 内城 直』として”故郷”を題材にした楽曲をご披露できる喜びは『この上ない喜び』でした(^^♪
ステージでは 自分の”うた”に妥協はありませんが 楽しみながらのステージにできるよう努めたいと思っておりました。[るんるん]
17時からの予定でしたので 15時に音響機器を持ち込み スピーカーやデッキ等のセッティング・音量調整等の”仕込み”をし、本番に備えました。
~(総会等は2階) 1階が懇親会会場:音響等の”仕込み”が済みスタンバイです~
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~プログラム構成~
”会津三泣き”をオープニング曲といたしました。初めて”詞”を書いてみたところ 奥咲 健先生が作曲・馬場啓介先生が編曲してくださり誕生した楽曲です。
次の曲は 馬場啓介先生の作詞・作曲”芦の牧旅情”です。
私のデビュー曲としては この2曲が位置付けられており『”内城 直”誕生』となった大事な楽曲です[るんるん]
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予定していた30分間をおおよそ時間通りに済ませることができ,仲間の皆さんに喜んでいただき『”うた”をやってて好かったナ~~!!!!』と思えたステージでした♪
ありがたいアンコールの声もあり 青春歌謡のメドレー(美しい十代・修学旅行・高校三年生:1コーラスづつに編集)を唄い、その後、テーブルに着き、美味しい料理を堪能させていただき、久しぶりの皆様と歓談させていただきました。
気持ちの中で”充実”させていただいた時間でした♪
本ステージにおいて 音響を担当してくださったのが 部長経験者の人事課の長谷川さんです。 こういう場面での音響担当は初経験の筈ですが、事前の直近の打合せだけで”リモコン操作を習得”され、スムーズに進行ができました。
長谷川さんに大きな拍手と御礼を申し上げます[るんるん]

懇親会の中締めをされてから ”音響機器”を台車に載せた後 しばらく歓談させていただきました[ムード]
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この時期の”秋月悌次郎生誕の地”です [多くの皆様に訪れてほしい”名所”です]

令和5年6月8日:雪国会津も厳しい冬が過ぎたかと思うと もう初夏の兆しです。
梅雨入り前ですが ぜひ訪れてほしいと思っております。
会津藩士・秋月悌次郎生誕地です。
秋月悌次郎は1824年の生まれで、会津藩主・松平容保公が京都守護職に就くと、他藩や公卿との折衝にあたる公用方を命じられ活躍された会津藩士です。 1,900年(明治33年)1月5日77歳の生涯を閉じられております。
詳細は生誕の地に建立されてる『秋月悌次郎 ふみあと』に記載されております。

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【以下 10行くらいの表現 どう表現をして好いのかが迷いながら 何回も修正しております[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]


この本生誕地奥(東)方向に鶴ヶ城”があります。鶴ヶ城西出丸から西側に広大な面積を有する天文台を有する日新館もありましたが、その一帯は一般市民の住宅街となっており、本生誕地から”鶴ヶ城”を望むことはできなくなっております。
その由緒ある會津のシンボルともいうべき日新館は 元の場所から10数㎞離れた元河東町の高台に建立されております。民間の方が建立されたのですが 昨今維持が困難らしきことが明るみになり、今 その財産をどうするのか どう処理されることになるのか模索中とのことです[あせあせ(飛び散る汗)]
【會津武士の根本である筈の”什の掟”を学んでいた由緒ある日新館の行方がどうなるのか気にかかっております】
秋月悌次郎はどんな想いで”鶴ヶ城”や”日新館”を眺めておられるのでしょうか!?』
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~若松城降伏 開城の”錦絵”(最後列に控え 降伏式を取り仕切りました)~
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降伏式は鶴ヶ城の北出丸の入り口の路上に”薄縁を敷き毛氈を敷き”その上で行われました。式終了後 秋月は”毛氈”を小さく切り 藩士たちの配られたそうです。
【この”毛氈”は 血と涙を吸った“泣血氈(きゅうけつせん)”と呼ばれ、藩士たちは 肌身離さず持ち歩き、決して忘れないという決意を込めて再興を誓い合ったのだそうです】
~平成28年頃に取り壊された”生家”~(冊子より抜粋させていただきました)

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~秋月悌次郎をうたった”武士悌次郎(もののふていじろう)”CDジャケット~
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~歌 詞~
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作詞者の篠田貞三先生は 『秋月悌次郎の心情をどう表現したかったのか!?』と考えると 3番目の最後に『弧愁に生きた 悌次郎』と表現されており、何故か そこに秋月悌次郎の”想い”が集約されてるように感じております。
会津藩主・松平容保公が京都守護職に就くと、會津藩の家老・横山主税の推挙もあり、他藩との折衝役・公用方を命じられご活躍されました。その後 横山家老が病死すると、藩内の妬みもあり、極寒の東蝦夷に左遷されました。しかし會津藩にとって、秋月はどうしても必要であり、1866年再び京都に呼び戻されますが、秋月が他藩と折衝する暇もないほど京都の政変は悪化していたのでした。
もし、他藩の優秀な武士達との交友関係のあった秋月が左遷されていなければ、もっと日本は変わっていたのかもしれないのではないか!!との強い思いもあり『弧愁に生きた 悌次郎』という歌詞の中に『奥深い秋月の心情』を凝縮した表現をされているような気がしてなりません、奥の深い秋月悌次郎の想いを”こころに秘めながら”唄わせていただいております[るんるん]
作曲は、作詞の篠田先生と同級生のサトウ進一先生で 同級生コンビです[るんるん]
サトウ進一先生は クラウン専属の作曲家でありますので、別のレコード会社から発売された『あなたまかせの夜だから(作曲):野呂正平』はサトウ進一先生の別のペンネームであり、歌手は大木英夫さん(新宿育ちを大ヒットさせた歌手)です。本楽曲も約80万枚のヒットをした楽曲です[るんるん]

戊辰戦争から約155年目に入っておりますが 屋敷は縮小されたようでありますが、是非秋月悌次郎生誕地を始め 鶴ヶ城等 史蹟に訪れて欲しいと思っております。

【北越潜行の詩碑】
”北越潜行の詩碑”は 戊辰戦争直後の明治元年10月に”会津藩の減刑嘆願”等の目的で 自らの身の危険を顧みず 行き その帰り途 越後街道”束松峠”で詠んだ”詩”です。『行くに輿無く 帰るに家無し』で始まる”詩”ですが 束松峠の頂上から”磐梯山”と”会津の城下街”観たを秋月悌次郎の万感の”想い””心情”が込められております。
近年 束松峠頂上において 4月29日に開催されてる”北越潜行詩碑碑前祭”
武士悌次郎束松峠.jpg img938.jpg 束松峠で唄披露.jpg
~鶴ヶ城 三の丸 での詩碑碑前祭 模様~(毎年10月に開催されております) img238.jpg
~今朝の福島民友新聞の記事~ img20230608_08544882.jpg

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慈善事業の反省会・馬場啓介先生への謝恩会も大盛会のうちに御開きとなりました [主賓・馬場先生が急遽欠席となりました]

令和5年5月4日(金)(みどりの日 祝日):正午から 市内”ホテルいずみや”で開催されました。
主賓である恩師・馬場啓介先生が出席され 皆様に御礼の言葉を申し上げるところですが 急遽 朝方 体調を崩されたということで ご欠席となりました。
残念ではありますが お身体のことが一番大事でありますので やむを得ない状況となりました。
朝方 先生からの電話で『欠席せざるを得ないので宜しくお願いします』旨の連絡に戸惑いながらも 先生直接の電話連絡だったことから を撫でおろしました。

次第において 『馬場啓介先生への御礼の言葉』として 私が申しあげることに記載されていたことにより、主賓の先生がおられない中ではありましたが 、先生との出逢いから今日までの想いを申し上げさせていただきました。
皆様に 今朝の出来事・欠席となられた先生の概略を申し上げとところ 皆様から 逆に励まされ恐縮いたしました。 
何といっても 馬場先生との出逢いは 本イベントを企画立案くださった歌川先生の『民謡生活60周年記念リサイタル』のrehearsalの時でしたので当時のことに触れさせていただきながらお話を申し上げさせていただきました。
約2時間半の時間でありましたが 中身の濃い反省会・謝恩会でありました。
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進行・MCもテンポよく進めてくださり 皆さん楽しみながら お開きまで 過ごされました。
私も”わたしの晴れ姿”という曲を御披露させていただきました。この曲は 馬場先生のお孫さん(唯ちゃん)のご結婚式で 先生からサプライズで孫の”唯ちゃん”に贈られる曲として”吹き込み”を行ったものです。
余りにも素晴らしい曲だったことから『唯ちゃん』の為だけの曲にしておくのはもったいないからとの想いで 先生にお願いをし『唯の晴れ姿』から『わたしの晴れ姿』として詞を一部書き替えていただき発表したものです。
嫁ぐ娘さんの" 心情"をうたった楽曲です


お開きになった後 馬場先生宅へ贈り物等を届けるためお伺いいたしました。
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最初奥様が玄関に出てこられお話を申し上げていると 何と馬場啓介先生ご本人が玄関口にお出でになられました。”ビックリ”するやら”安堵の気持ちが沸き起こる”やらの気持ちでしばらくご報告させていただきました。

令和5年7月11日:暫くぶりに恩師・馬場啓介先生宅にお伺いさせていただきました。
何と先生はパソコンに向かっておられました[るんるん]
30分位の予定でお伺いした訳ですが 話し込んでいる内に2時間半くらい経過してしまいました。
先生のご容態の心配を胸に置いての会話のつもりでしたが、話し込んでいる内に、いつの間にか時間が経過してしまいました。
先生も、今までの経過やこれからの治療のあり方等々 お話をされながらも、ギターを持ち出し”芦の牧旅情”を弾き始めましたので、思わず唄わせていただきました。
先生のギターにより”芦の牧旅情”を何回も唄ったのは初めてのような気がいたしました。続けて”湯の町エレジー”等々、思いっきり声を出させていただき 至福の時間でした[るんるん]
暫くのギターを持たれた先生の姿に『写真撮らせていただいていいですか』というと快く撮らせていただきました。その音色は心に響きました。
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30日の会津美里町芸能慈善事業ステージが終了致しました [恩師・馬場啓介先生の特別コーナー大盛況でした]

令和5年4月30日(日)午前9時30分開演:会津美里町芸能慈善事業『民謡・歌謡・舞踊のつどい』が開催されました。
何故か今日は 今までにないような”充実感”というか”やりきった!!”ような気持ちが強く残りました[ムード]
”うた”の出来具合は脇に置いといて このような”充実感”らしき気持ちは 自分の中でも 心地好い気持ちとしてのこります。恩師・馬場啓介先生の楽曲をいただき 今日ご披露申し上げた皆様も同じ気持ちのように感じました[ムード]
5月4日に行われる”反省会”も この余韻に浸りながら 臨みたいと思っています[ムード]
企画をしてくださった民謡の大御所・歌川先生に”感謝”あるのみです[ムード]
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5月下旬に いつもステージ写真を撮ってくださり 送ってくださっている”イ~さん”から 沢山のステージ写真が届けられましたので 一部を掲載させていただきました[るんるん]

会場は会津美里町じげんプラザです[るんるん](^^♪
第1部
 行事は町民憩いの広場
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1部と2部の間に【特別ステージ】:『馬場啓介トークの広場』として馬場啓介先生作曲11曲・約70分間、『会津美里町芸能文化の達人 馬場啓介、作詞作曲のメロディーを聞いてください!!』というテーマになっております。

~ご挨拶された後 先生自らご紹介され 先生の楽曲を次々と披露させていただきました~
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オープニングは ①馬場啓介先生が編曲された『おやじの海』のメロディーにのせてた尺八演奏でオープニング[ムード]
馬場啓介先生のご挨拶に始まり 先生自ら皆さんをご紹介くださり トークを含めて進行されました。
②から⑪までの10曲は馬場啓介先生作曲のオリジナル曲が続きました。
⑪芦の牧旅情/内城 直で最後を務めさせていただきました。”芦の牧旅情”は ”会津三泣き”と共に 私のデビュー曲とも位置付けされている楽曲です。
本コーナーでの最後に先生から紹介された後 ”芦の牧旅情”を唄う前に 私もアドリブで先生へ”感謝の言葉”を申し上げました。先生とのトークを行いました[るんるん](^^♪

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"芦の牧旅情"は あの有名な”新宿育ち”"あなたまかせの夜だから"を大ヒットさせた大木英夫さんがレコーディングをされた曲で作詞作曲が馬場啓介先生 奥野広道先生編曲の素晴らしい楽曲です。
私が”故郷を唄う 内城 直”としてデビューの話が進んでいる頃 大木英夫さんは病に侵されてしまい 『二度とステージには立つことは難しいだろう】という馬場先生からのお話があり あまりにも素晴らしい曲なので 私が『カバー曲として 馬場啓介先生ご了解のもと 唄わせていただくようになった”大事な縁”のある楽曲です。
大木英夫さんも 私のCDの完成を喜んで待ってくださっているということを 馬場先生からお聞きしておりましたが 完成したCDをお渡しする前に 2010年3月25日の午前6時43分(66歳)御逝去されてしまいました。 そのことが今でも”心残りであり”残念でなりません。
馬場先生との出逢いは 民謡時代にはご活躍されていたことは知っておりましたが 作曲家としての先生とは 平成21年の歌川先生の”民謡生活60周年記念リサイタル”のリハーサルの時でした。エレクトーン奏者としての馬場先生・歌謡としての私 一緒の出演がきっかけとなったものです[ムード]
その後先生宅へお伺いさせていただくようになり 『故郷を唄う 内城 直』の誕生につながったものです[るんるん](^^♪
”本コーナー”の終了と同時に 先生の曲を唄わせていただいてる私達から 先生への”サプライズ”で花束を贈呈させていただきました。私がご挨拶を申し上げ 南郷歌謡同好会の橘達雄会長さんよりお渡し致しました[ムード]
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第2部 歌って踊って残そう芸能

第3部 芸は良いもの心が和む
舞踊・民謡・歌謡の26曲の構成となっております。
全員でのフィナーレ前において ”河井継之助(もうひとりの龍馬)”でトリを務めさせていただきました。主催者に”感謝”の気持あるのみです
この楽曲は 作詞が只見町の吉田六郎先生 作曲が恩師・馬場啓介先生です。
特別コーナーでの”芦の牧旅情”と第3部での”河井継之助(もうひとりの龍馬)” いずれも馬場啓介先生作曲の楽曲です。『少しの恩返しに繋がれば!![るんるん](^^♪』と思っております[るんるん](^^♪
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~吉田六郎先生が作詞するに至った経緯~
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長岡藩家老・河井継之助が戊辰戦争において 左足に銃弾を受け 瀕死に御状態で『俄か担架』に載せられ”八十里越え”によりやっと只見町入叶津の辿り着き 只見の人々の手厚い看護の甲斐なく 1868年8月16日に42歳の生涯を閉じられました。今は亡き作詞された只見町の吉田六郎先生の想いを胸に置き 作曲の馬場啓介先生のメロディを表現させていただきます。
本楽曲は、吉田六郎先生から『書いた”詞”があるのでみてくれないか!』との電話連絡があり 急いで只見町に行き”詞”を拝見しましたが10番位迄羅列してありました。漢文をみせられてるようで戸惑ったことを想い出します。その場で”吟”じてみると ”詩吟”でも唄えるんです!!吉田先生と”うた”になるよう抜粋組立をし、3番までの楽曲に整理を致しました。
それでも”詞”は歴史的背景が網羅されておりますが、一般的には”歌詞は”難しい内容だと思っております。”歌詞”の文字自体をみながらだと理解できると思いますが、文字をみないで『こうぶがったい さくならず  めいじぼしんの あけぼのは  とうばくさばくの せきがはら・・・・・』と聴いても『公武合体 策成らず 明治戊辰の 曙は  倒幕佐幕の 関ケ原・・・・』という言葉に結びつきにくいと思います。吉田六郎先生ならではの”詞”であり 分かり易くするために簡略な言葉に訳することにはしたくなかったんだと思います。敢えてこのように史実に基づいた言葉で表現したかったのだと思います。重みのある”歌詞”に仕上がってのではないか!!と思っています[るんるん](^^♪
傷つきながらも只見町に辿り着き、結果的に42歳の生涯を閉じられた河井継之助に対する吉田六郎先生の強い想いが強表現されております。
只見町間河井継之助の命日には毎年 お墓のある医王寺において法要を執り行っています。
~河井継之助記念館~
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作詞された吉田六郎先生は 2019年大晦日にご逝去されました。これまでの間 地元でのステージは必ず 新潟や東京などのステージに 応援に駆けつけてくださっておりました。亡くなられるその年の11月9日に開催された『お祝い会』にも御出席くださったり大変お世話になっておりました。

今日は いつも応援に駆けつけてくださってる大関芙美雄先制もご来場くださいました[ムード]
更には ステージというステージがある度に 写真を撮って送ってくださってる方との対面をすることができました[ムード]御礼として CD5枚お渡しさせていただきました[ムード]

~いつもステージ写真を撮ってくださってる”イ~さん”とのジョーク写真です~
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ステージ終了後の後片付けも済み 主催者よりお礼の言葉  馬場啓介先生からのお礼の言葉があり その後 『三本締は内城さんより』との言葉を受け 甘んじて ”三本締”の音頭を取らせていただき 反省会を約束し 散会いたしました[ムード]
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雪国會津・満開の桜も散り葉桜となり 美しい新緑を迎えます [コロナ禍が若干落着きをみせステージが少し復活!!]

令和5年4月16日(日)宮城県石巻市のマルホンまきあーとテラスにおいて、『感謝!歌謡コンサート春の陣2023』と題して、東京トラスト芸能主催で開催されました。
オープニングから出演者全員がステージに揃い プログラムにより進められていきました。
私は第1部の最後で”友情出演”という場面でのステージをご用意いただきました。

満席の御客さんで、真野社長さんの人気ぶりと地域に密着されていることが分かりました。
友情出演は4人おられましたが、最後の位置付けをさせていただき、”芦の牧旅情”と”河井継之助(もうひとりの龍馬)”の2曲を御披露させていただきました。
~プログラム掲載のプロフィール~
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~石巻  会場~
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~開場前の会場内部の一部~
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~オープニング(オープニングは洋装臨みました)~
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~司会の瀬ノ内さんとのトーク(”うた”の時は着流しですネ)~
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お客さんの大きな拍手にノセラレ 気分好く唄わせていただきました。
司会の瀬ノ内さんの軽快なMCにもノセラレましたネ[るんるん](^^♪
終演後 近くの居酒屋さんでの”打ち上げ(反省会)”にも出席させていただき 皆様と”名刺交換”を含め有意義な時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。
応援に駆けつけてくださった友人と会場を後にさせていただきました。

友人と翌日 大内宿へ立ち寄り宿場街並みを散策し 街並みの中にある同級生宅へ立ち寄ることもでき 有意義な時間を過ごさせていただきました.
神社が建立されてる一番奥の高台からの大内宿の街並みは 茅葺屋根が見事に建ち並び 地元会津に住みながらも”圧巻”の景色です[ムード]


地元の方々は 大変な想いと決意をもって保存されてるんですネ[ムード]”感動”ものです[ムード]
[るんるん](^^♪
~冬の景色(10年前位に撮った雪景色)を掲載致します~

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~今の時期の大内宿・茅葺屋根がハッキリ見えます~

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令和5年4月30日(日):会津美里町芸能慈善事業『民謡・歌謡・舞踊のつどい』が開催されます。
第1部 行事は町民憩いの広場
【特別ステージ】:馬場啓介トークの広場として馬場啓介宣作曲11曲の披露オープニングは ①尺八演奏とし ~  ~ ⑪芦の牧旅情/内城 直のプログラムで最後を務めさせていただきます。

第2部 歌って踊って残そう芸能

第3部 芸は良いもの心が和む
”河井継之助(もうひとりの龍馬)”でトリを務めさせて頂く事になっております。
この楽曲は 作詞が只見町の吉田六郎先生 作曲が恩師・馬場啓介先生です。
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~吉田六郎先生が作詞するに至った経緯~
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岡藩家老・河井継之助が戊辰戦争において 左足に銃弾を受け 瀕死に御状態で『俄か担架』に載せられ”八十里越え”によりやっと只見町入叶津の辿り着き 只見の人々の手厚い看護の甲斐なく 1868年8月16日に42歳の生涯を閉じられました。今は亡き作詞された只見町の吉田六郎先生の想いを胸に置き 作曲の馬場啓介先生のメロディを表現させていただきます。
本楽曲は、吉田六郎先生から『書いた”詞”があるのでみてくれないか!』との電話連絡があり 急いで只見町に行き”詞”を拝見しましたが10番位迄羅列してありました。漢文をみせられてるようで戸惑ったことを想い出します。”うた”になるよう抜粋組立をし、3番までの楽曲に整理を致しました。
それでも”詞”は歴史的背景が網羅されておりますが、一般的には”歌詞は”難しい内容だと思っております。”歌詞”の文字自体をみながらだと理解できると思いますが、文字をみないで『こうぶがったい さくならず』と聴いても『公武合体 策成らず』とは結びつきにくいと思います。吉田六郎先生ならではの”詞”であり このように表現したかったのだと思います。
傷つきながらも只見町に辿り着き、結果的に42歳の生涯を閉じられた河井継之助に対する吉田六郎先生の強い想いが強表現されております。
只見町間河井継之助の命日には毎年 お墓のある医王寺において法要を執り行っています。

4月29日は会津坂下町の束松峠にある会津藩士・秋月悌次郎が詠んだ”北越潜行の碑”の前において”碑前祭”がありますが 30日のステージのステージ準備・リハーサルが予定されておりますので、残念ながら29日は参加できないことの返事をさせていただきました。
参加させていただく場合は 今まで 頂上の”北越潜行の碑”の前で ”武士悌次郎”を唄い捧げさせていただいておりました。
~コロナ禍前の4月29日の時の写真です~
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三寒四温を繰り返し春に向かってることを実感してます [太陽の陽射しが優しくなっています]

2,023年 令和5年2月22日:新年を迎えたと思ったら いつの間にか2月も下旬を迎えました。
會津平野部において 昨年12月のドカ雪があったほかは まとまった雪も降らず 比較的平穏な冬が過ぎ去ろうとしております。
除雪関係者においては 除雪車の稼働時間が思ったより少なくて苦慮されているとは思いますネ[あせあせ(飛び散る汗)]
今日も雪はチラついたり太陽が顔を出したり繰り返していますが いわゆる”三寒四温”をくり返し春に向かっていることは間違いないですネ[ムード]
我が家の”シンビジューム”等の花が 窓越しの優しい陽射しが”御馳走”となり誇らしげに咲き誇り 自宅にいる時は それを眺めながらのコーヒータイムを楽しんでいます。
~窓越しの優しい陽射しを浴びて咲き誇ってる花々です~
4月まで咲いてくれます(自己流での”水遣り””肥料”[あせあせ(飛び散る汗)][るんるん](^^♪)
[るんるん](^^♪
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コロナ感染者数も 最近激減してきておりますが 皆様も同じだろうと思いますが 本当に落ち着いてくれるのかを心待ちにしております。
現時点で 4月には 宮城県のI市内・地元会津での2か所のステージが予定されておりますが それに向けて準備をしているところでもあります[るんるん](^^♪
主催者の関係者に感謝を申し上げます[るんるん](^^♪
もうすぐ春の”桃の節句”です[るんるん](^^♪我が家には長男・二男ですが 孫に女の子が二人おりますので ささやかな”雛人形”を飾っておきました[るんるん](^^♪
やっぱり 厳しい冬を乗り越えた『春』到来!!という穏やかな気持ちにさせてくれますネ[ムード]笑顔になります[るんるん](^^♪
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2023年 会津地域最大の初市『十日市』が開催され賑わいました

2023年 令和5年正月10日:会津地域最大の初市”十日市”が開催され 多くの市民・観光客で賑わいました。4大年の歴史ある伝統行事ですネ。
朝は吹雪で 路面凍結の状態でしたが 午後は晴れ間も見え 多くの皆様で賑わいを見せていました。
~十日市風景~
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私は 午前中の11時頃から13時頃まで行きました。行き交う方々とは 正月ならではの初顔合わせで『新年のご挨拶』をさせて頂く事も多いですネ[るんるん](^^♪
”コロナに打ち勝つ!!”という意味も込められた”十日市”という認識でおりました[るんるん](^^♪


~FMラジオ に 楽曲のリクエストがありました~
夕方5時からは 地元FM会津ラジオ番組”イブ二ング愛 S”が放送され いつもお世話になっている”常磐秀次”アナウンサー・パーソナリティ(元福島中央テレビ報道記者・アナウンサー)の担当で ラジオネーム”源(ゲン)さん”によるリクエストが寄せられ 常磐さんの軽快な口調と共に”素晴らしいご紹介”をいただき 感動して聴いておりました。リクエストは"会津三泣き"という楽曲でした。”芦の牧旅情”と共に 私のでデビュー曲です。常磐さんのエピソードを混ぜながらのご紹介をしてくださいました[るんるん](^^♪

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令和4年の大晦日ですお世話になりました [”感 謝”の1年間でした]

2022年令和4年12月31日:いよいよ大晦日となりました。
皆様には お世話になりましたこと 心からお礼申し上げます
新年も 皆様にとりまして 素晴らしい年になりますよう願っております[ムード]♪?♪(^^♪
この1年は コロナ禍の中にあって 年始めはコロナも落ち着いたかのように思え それぞれの団体の皆様が”イベント”の開催を企画され オファ~がありましたが その後 感染者が増え始め 結果的に『中止!!』というご連絡があり 残念な状況となった1年でもありました。
そのような状況の下 6月9日・新潟村上市ふれあい文化センターでのステージ  
6月30日・浅草公会堂での埼玉テレビの公開録画  
8月5日・日本歌手協会60周年記念イベントとしての”南大塚ホール”での『1曲入魂』のステージが開催され ”感 謝””河井継之助(もうひとりの龍馬)”を御披露させていただきました。

東京近郊の友人 妹夫婦等 多くの皆様が応援に駆けつけていただき 心から”燃えながら”唄わせていただきました。”感 謝”あるのみです。
新しい出逢いもあり ”感 謝”あるのみです[ムード]♪?♪(^^♪
翌日の8月6日には 地元”西若松駅を愛する会”による”内城直歌謡ショー”が西若松駅東口広場で開催され 大きな声援をいただきながらショーを務めさせていただき 地元ならではの大きな喜びもありました。
地元”FM会津”さんには 1年間を通して ラジオネーム”源(ゲン)”さんによるリクエストにより”芦の牧旅情””蒔絵師一代””さすけねえから こらはんしょ””感 謝””柳津の宿””会津魂””只見・川がたり””武士悌次郎””河井継之助(もうひとりの龍馬)”等々の楽曲を放送くださり 御礼を申し上げます。
また 只見町河井継之助記念においては 恩師の退職者会の皆様が10月26日
記念館を訪れた際 記念館で 恩師馬場啓介先生作曲 故吉田六郎先生作詞の”河井継之助(もうひとりの龍馬)”を御披露申し上げることができたことは『”うた”をやってて好かった!!』と思える瞬間でした。
この1年間 素晴らしい1年でしたことあらためて御礼申し上げたいと思っています[ムード]♪?♪(^^♪
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~東京南大塚ホールでの日本歌手協会60周年記念『1曲入魂』のステージ模様~ 20220805_132717.jpg 20220805_132712.jpg
10月14日には 地元秋月悌次郎顕彰会の”秋月悌次郎詩碑碑前祭”において 会津藩士・秋月悌次郎悌次郎顕彰会の会歌に昇華されている”武士悌次郎(もののふていじろう)”を捧げさせていただきました。 会津藩士・秋月悌次郎は会津藩主・松平容保公が京都守護職に就かれた際に 公用方奉行として活躍され 戊辰戦争において 鶴ヶ城開城の際 その降伏式を取り仕切った武士です。 img20221014_17440467.jpg img20210107_10284297.jpg img20210107_10451109.jpg
11月9日:中野サンプラザ img646.jpg
12月24日には 柾屋和夫後援会長の弟さんの奥様が経営されてるスナックにおいて 3年前の2019年11月9日に開催された『故郷を唄う 内城 直1雄周年を祝う会』のDVDを持参し 後援会長を偲びました。柾屋後援会長は 『祝う会』終了後の深夜に御自宅で急逝されました  3年50日目になりますが DVDを観ながら偲ぶことができました
~『祝う会』時の写真です~ img099.jpg img095.jpg
~在りし日の後援会長~
img20191113_09493195.jpg 柾屋後援会長と一緒に.jpg
~配布した”詐欺に合わないように!!”のティッシュとチラシ~ img123.jpg
作詞をしてくださった只見町在住の吉田六郎さんは 『祝う会』に来賓としてご出席くださり 楽しい時間を過ごさせていただきましたが その年の大晦日に急逝されました。 吉田六郎さんは”会津魂””只見・川がたり””河井継之助(もうひとりの龍馬)”等を作詞してくださり ステージには 地元始め 新潟 東京等々 駆けつけてくれておりました。 同じ年に 柾屋和夫後援会長  作詞家の吉田六郎さんの急逝があり どん底に落ちた時期でもありました。
~故吉田六郎さんとの想い出写真の一部~ img20200609_09261012 (2).jpg img20200527_10084178.jpg img079.jpg504.jpg" width="350" height="278" border="0" align="" alt="img20200512_10481504.jpg" /> img078.jpg img412.jpg img419.jpg

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